『なぜ、きまりがあるの?』:身近なルールを哲学する対話の進め方
はじめに:なぜ、「きまり」について哲学するのか
小学校の子どもたちは、学校や家庭、地域の中で様々な「きまり」に囲まれて生活しています。「廊下は走らない」「宿題をやる」「時間を守る」など、当たり前のように受け入れているきまりもあれば、「どうしてそうしないといけないの?」と疑問に思うきまりもあるかもしれません。
これらの「きまり」は、社会の秩序を保ち、みんなが安心して生活するために大切なものですが、子どもたちがそれを単なる「守らなければいけないもの」として受け止めるだけでなく、「なぜ必要なのだろう」「誰のためにあるのだろう」「変えることはできるのだろうか」と、その存在意義や意味について深く考える機会を持つことは、主体的な社会参加の基礎を育む上で非常に重要です。
哲学対話は、このような身近な「きまり」をテーマに、子どもたちが互いの考えを共有し、問いを深めながら、きまりの持つ多面的な意味に気づくための有効な手法です。ここでは、小学校で「きまり」に関する哲学対話を行うための具体的な進め方やポイントをご紹介します。
実践事例:「学校のきまり」を問い直す対話
対象と想定される学年
小学校中学年~高学年(3年生~6年生)を想定しています。低学年の場合は、扱うきまりをよりシンプルにし、対話の時間を短くするなど調整が必要です。
準備物
- ホワイトボードまたは大きな紙
- マーカーペン
- 付箋やカード(意見を書き出す場合)
- 問いのリスト(ファシリテーター用)
- 対話のルールを提示するもの(例:カード、ポスター)
授業の進め方(例:45分~60分程度)
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導入(5~10分):身近なきまりに気づく
- 「みんなの周りには、どんな『きまり』がありますか?」と問いかけ、子どもたちに身近なきまり(学校のきまり、家のきまり、遊びのルールなど)を自由に出してもらいます。
- 出されたきまりをホワイトボードに書き出していきます。
- 「たくさんのきまりがあるね。今日の時間は、この『きまり』について、みんなで考えてみたいと思います。」と対話のテーマを提示します。
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メインの問いの提示と共有(10~15分):『なぜ、きまりはあるのだろう?』
- 本時のメインの問いを提示します。「では、これらの『きまり』は、なぜあるのだと思いますか?」
- 子どもたちに、その問いに対する自分の考えを一人ずつ簡単に言葉にしてもらいます。(全員が話す機会を設けることで、多様な考えがあることに気づかせます。パスをしても良いことを伝えておきます。)
- 出された意見の中から、対話を深めたいキーワードや疑問を拾い上げます。(例:「安全のため」「みんなが困らないため」「勝手なことをしないため」など)
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対話の深掘り(20~25分):問いを広げ、考えを掘り下げる
- 出されたキーワードや疑問を手がかりに、さらに問いを投げかけ、対話を深めます。
- 「『安全のため』ってどういうことだろう? きまりがないと安全じゃないのかな?」
- 「『みんなが困らないため』の『みんな』って、誰のことかな? 困る人、困らない人がいるのかな?」
- 「きまりがなかったら、どうなるだろう? どんな良いこと、困ることが起こるかな?」
- 「きまりは、誰が決めるのだろう? 決める人は、何を考えて決めているのかな?」
- 「守れないきまりがあったら、どうすれば良いだろう?」
- 「きまりは、変えても良いのかな? どんなときに、どうやって変えるのだろう?」
- 「『きまりを守る』って、どんな気持ちで守ると良いのかな? 無理やり守るのと、納得して守るのと、どう違うかな?」
- ファシリテーター(教師)は、特定の子どもの意見を評価せず、異なる意見や沈黙も尊重し、誰もが安心して発言できる雰囲気を作ります。
- 子どもの発言を繰り返したり、「〇〇さんは△△と言いましたが、それについてどう思いますか?」のように、子ども同士で応答を促したりしながら対話を進めます。
- 必要に応じて、対話の途中で子どもたちの意見やキーワードをホワイトボードにまとめていきます。
- 出されたキーワードや疑問を手がかりに、さらに問いを投げかけ、対話を深めます。
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まとめ・振り返り(5~10分):対話を通して気づいたこと
- 「今日の対話を通して、きまりについてどんなことに気づきましたか?」「初めて考えたことは何ですか?」といった問いを投げかけます。
- 一人ひとりが、対話を通して考えたことや感じたことを言葉にする機会を設けます。
- ファシリテーターは、対話の過程で出された多様な意見や問いを振り返り、きまりには様々な側面があること、そして、それを自分たちで考え、より良いものにしていくことができる可能性を示唆して対話を締めくくります。
実践のためのポイントと注意点
- 安全な場の設定: 哲学対話の基本となる「否定しない」「最後まで聞く」「パスしてもよい」などのルールを事前に確認し、誰もが安心して発言できる雰囲気を作ることが最も重要です。
- ファシリテーターの役割: 教師は知識を教えるのではなく、子どもの考えを引き出し、対話を促進する役割に徹します。答えを用意せず、子どもたちの問いや意見に耳を傾け、深掘りする問いを投げかけます。
- 問いの選び方: 子どもたちの日常に関わる、具体的で彼ら自身の「なぜ?」につながる問いを選ぶことが大切です。導入の問いからメインの問い、そして深掘りする問いへと、自然な流れで問いをつないでいきます。
- 時間配分: 子どもたちの集中力に合わせて、対話の時間は調整します。特に低学年の場合は、短時間でシンプルな問いに絞る方が効果的です。
- 結論を求めない: 哲学対話は、唯一の「正解」や結論を出すことを目的としません。多様な考えに触れ、問い続けるプロセスそのものに価値があります。対話が終わったときに、考えが「まとまらなくても」「すっきりしなくても」良いことを事前に伝えておくと、子どもたちのプレッシャーが軽減されます。
想定される子どもの反応と対話の例
- 反応例:
- 「きまりがないと、みんな好きなことばっかりしてバラバラになると思う。」(規範意識・共同体への視点)
- 「でも、やりたいことができないきまりもあるから、ちょっと嫌だな。」(自由への視点)
- 「このきまりは、いつからあるんだろう? 誰が考えたんだろう?」(歴史・権力への視点)
- 「なんで先生はきまりを守るのに、大人は守らないときがあるの?」(公平性・ダブルスタンダードへの疑問)
- 「きまりを守らないと怒られるから守る。」(罰への恐怖)
- 「きまりを守ると、なんだか安心する。」(安心感・信頼)
- 対話の例(ファシリテーターと子どものやりとり):
- 子:「きまりがないと危ないと思う。」
- ファシリテーター:「危ないというのは、たとえばどんなことですか? 具体的な場面を想像できますか?」
- 子:「廊下を走ったらぶつかるとか。」
- ファシリテーター:「なるほど、廊下を走らないというきまりは、ぶつからないためにあるのですね。では、もし廊下を走っても誰ともぶつからなかったら、そのきまりはいらないと思いますか?」
- 子:「えーと、でも他の人が走るかもしれないし…。」
- ファシリテーター:「他の人が走るかもしれない。つまり、自分だけでなく『みんなにとって』安全であるために、という視点もあるのかもしれませんね。では、学校の中には、ぶつかる危険があまりない場所もあるかもしれませんが、そこでも走らないというきまりがあるのはなぜでしょう?」
成功事例と失敗事例、そこから学べる示唆
- 成功事例:
- あるクラスでは、「なぜ給食を残さず食べないといけないのか」というきまりをテーマに対話をした際、「食べ物を粗末にしないため」「農家さんのため」「体の成長のため」「でも、お腹がいっぱいなのに無理やり食べるのは苦しい」など、多角的な意見が出ました。単に「残さず食べる」というきまりの背景にある様々な価値観に触れ、子どもたち自身がそのきまりの持つ意味を多面的に捉え直す機会となりました。
- 対話後、「残さず食べる努力はするけれど、どうしても難しいときはどうすれば良いか、先生や友達に相談してみよう」といった、きまりとの主体的な向き合い方に関する発言が見られました。
- 失敗事例:
- 教師が「きまりは絶対に必要なものだ」という前提を持って対話を始めた場合、子どもたちの自由な発言が抑制されたり、教師の意図に沿った発言を引き出そうとしてしまい、多様な考えが出にくくなることがあります。
- 特定の意見を「正しい」「間違っている」と評価したり、活発に発言する子どもの意見ばかりを取り上げたりすると、発言しない子どもや異なる意見を持つ子どもが黙ってしまうことがあります。
- 示唆:
- 教師自身が「きまりとは何か」という問いに対して開かれた姿勢で臨むことが重要です。子どもたちの発言に耳を傾け、教師自身も共に考える学習者であるというスタンスを持つことで、対話はより深まります。
- 対話のプロセスを重視し、多様な意見が出ることを歓迎する雰囲気作りが不可欠です。否定的な意見や少数派の意見も、対話を深める貴重な材料となります。
多忙な現場でも取り入れやすい工夫
- 短時間での実施: 哲学対話は、必ずしも長い時間をかける必要はありません。朝の会や帰りの会、休憩時間後など、短時間(10~15分程度)で一つの問いについて考える時間を持つだけでも効果があります。
- 特定の教科と連携: 道徳や特別活動の時間はもちろん、社会科で地域のきまりを学ぶ際や、国語科で物語の登場人物の行動の是非を議論する際など、関連する教科の内容と連携させて取り入れることも可能です。
- テーマを絞る: いきなり大きなテーマを扱うのではなく、クラスでその時々に話題になっている身近なきまり(例:忘れ物が多い、廊下を走る子がいる、〇〇の使い方が守られていないなど)を入り口にする方が、子どもたちにとって自分事として捉えやすく、対話が活性化しやすい傾向があります。
- 準備を簡素化: 大がかりな準備は不要です。問いを一つ用意し、対話のルールを確認すればすぐに始められます。
まとめ
「きまり」に関する哲学対話は、子どもたちが社会のルールを受動的に受け入れるだけでなく、その意味や目的を主体的に考え、必要に応じてより良いものにしていくための可能性に気づく貴重な機会となります。
「なぜ、きまりはあるのだろう?」という素朴な問いから始まる対話は、安全、公平、自由、責任、共同体といった、社会を構成する上で不可欠な様々な価値観に触れることにつながります。
多忙な日々の中でも、少し時間を取って子どもたちの「なぜ?」に耳を傾け、身近なきまりについて共に考える時間は、彼らの思考力、対話力、そしてより良い社会を創るための主体性を育む確かな一歩となるはずです。ぜひ、日々の実践の中で試してみてください。