『約束』ってどういうこと?:信頼や責任を哲学する対話の授業実践例
はじめに:「約束」を哲学的に考えてみること
小学校の子どもたちにとって、「約束」は非常に身近な言葉です。友達との遊びの約束、親との時間の約束、学校のルールも広義には社会との約束と言えるかもしれません。しかし、「なぜ約束は守らなければならないのか」「約束を破るとどうなるのか」「守れなかった約束はどうすれば良いのか」といった問いについて、深く考え、言葉にする機会は少ないかもしれません。
「約束」というテーマは、単にルールを守るという表層的な理解に留まらず、信頼、責任、自由、規範といった哲学的な概念につながります。これらの概念について、子どもたちが自分自身の経験や感覚を通して考え、他者と対話することで、思考力や倫理観、社会性を育むことが期待できます。
ここでは、「約束」をテーマにした哲学対話の授業実践例をご紹介します。小学校の現場で、子どもたちの「考える力」「問いを立てる力」「対話する力」を育む一助となれば幸いです。
哲学的な問いとしての「約束」
「約束」という言葉から、どのような問いが生まれるでしょうか。子どもたちの素朴な疑問や、日常の経験から生まれる問いこそが、哲学対話の出発点となります。例えば、以下のような問いが考えられます。
- なぜ約束は守ったほうがいいのだろう?
- 約束を破られたら、どんな気持ちになるのだろう?
- 約束を守ることで、良いことはあるのだろうか?
- 約束を「守る」って、どういうこと?
- 約束って、誰とするもの?(友達、家族、自分自身、社会…)
- 約束を破ってしまったら、どうすれば良いのだろう?
- どうしても守れない約束はあるのだろうか? その時はどうする?
- 「信頼」することと「約束」することは関係があるのだろうか?
- ルールと約束は同じだろうか、違うだろうか?
これらの問いは、子どもたちの思考を深め、多様な視点に気づかせるきっかけとなります。
授業実践例:「約束」をめぐる対話活動
ここでは、具体的な授業の進め方の一例をご紹介します。対象学年や子どもの発達段階に応じて、活動内容や問いかけを調整してください。
【対象】 小学校中学年~高学年(低学年の場合は、より具体的な事例や絵本などを活用)
【時間】 45分~90分(子どもの集中力や議論の深まり具合に応じて)
【準備物】 * 問いを提示するためのカードや模造紙 * 子どもたちが意見を書き出すための付箋やミニホワイトボード * 対話のルールを掲示するための紙 * (必要に応じて)約束や信頼に関する短いエピソードや絵本
【授業の流れ】
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導入(10分):テーマ提示と身近な経験の共有
- 「今日のテーマは『約束』です」と伝える。
- 子どもたちに、最近あった「約束」に関する経験を簡単に話してもらう。(例:「友達と放課後遊ぶ約束をした」「お家の人とお手伝いの約束をした」「宿題を終わらせるって自分と約束した」など)
- 具体的なエピソードを通して、「約束」が自分たちの生活に深く関わっていることを意識させる。
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問いの設定(10分):哲学的な問いの提示
- いくつか哲学的な問いを提示する。(例:「なぜ約束は守ったほうがいいのだろう?」「約束を破られたら、どんな気持ち?」など)
- 子どもたちから「約束」について疑問に思うことを自由に挙げてもらう時間を作るのも良いかもしれません。「約束について、不思議に思うこと、もっと知りたいこと、先生やみんなに聞きたいこと、何かある?」
- 出された問いの中から、今日の対話で一番考えたい問いを子どもたちと一緒に選ぶ。(多数決でも良いし、教諭が絞り込んでも良い)
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対話活動(30分~60分):問いをめぐる意見交換
- 選んだ問いを中心に、グループまたはクラス全体で対話を行う。
- 対話の前に、基本的なルール(人の話を最後まで聞く、意見を否定しない、どうしてそう考えるのか理由を言うなど)を再確認する。
- 子どもたちは、選んだ問いに対して、自分の考えや経験を話す。
- 教諭はファシリテーターとして、以下の点を意識する。
- すべての子どもが安心して発言できる雰囲気を作る。
- 特定の意見に偏らないよう、多様な意見を引き出す。「〇〇さんは△△と考えたけれど、それとは違う考えの人はいるかな?」
- なぜそう考えるのか、理由や根拠を尋ねる。「そう考えたのは、どうしてかな?」「どんな経験からそう思った?」
- 子どもの発言を丁寧に聞き取り、必要に応じて言葉を整理したり、別の言葉に言い換えたりする。(ただし、教諭自身の意見や評価は挟まない)
- 出された意見同士のつながりや違いを明確にする。「〇〇さんの意見と△△さんの意見は、似ているところと違うところがあるね」
- 問いが深まるような、新たな問いを投げかける。「もし約束を破ってしまったら、相手との関係はどうなると思う?」「自分との約束(目標)を守ることも大切かな?」
- 意見を付箋に書いて模造紙に貼り出し、分類・整理しながら対話を進めるのも有効です。
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振り返り(10分):対話を通して考えたことの共有
- 今日の対話を通して、自分が新しく気づいたこと、考えが変わったこと、もっと考えたいと思ったことなどを一人ずつ簡単に発表する。
- 意見がまとまらなくても、それで良いことを伝える。「この問いには一つの正解があるわけではありません。今日みんなで一緒に考えたこと、色々な考え方があることに気づけたことが大切です」
- 教諭も、子どもたちの発言から感じたこと、学んだことなどを共有する。
学年別の配慮事項
- 低学年: 具体的な身近な事例(友達と「後でね」と約束したのにできなかった、など)を導入にする。絵本や人形劇などを使って状況を提示するのも良い。感情に寄り添う問いかけ(「どんな気持ちだった?」)を中心に進める。絵や簡単な言葉で意見を表現する。
- 中学年: 約束を守る理由や、破ることによる結果について、少しずつ論理的に考え始める時期。身近なルール(学校のきまりなど)と約束を結びつけて考えることもできる。「もし約束がなかったらどうなる?」といった想像を促す問いも有効。
- 高学年: 責任、信頼、公平、権利といったより抽象的な概念にも触れながら議論を深めることができる。社会的な約束(法律、規則)についても話題を広げることが可能。状況によって約束の重みが変わるか、といった多角的な視点での検討も促す。
実践のポイントと注意点
- 安全な場づくり: どのような意見でも安心して言える雰囲気、他の子の意見を馬鹿にしないという基本的な信頼関係が最も重要です。
- 教諭は聞き役に徹する: 自分の価値観や「正解」を押し付けず、子どもの言葉に耳を傾け、思考のプロセスを支援することに集中します。
- 問いの選び方: 子どもたちが「話したい」「考えたい」と思える、自分事として捉えられる問いを選ぶことが対話を活性化させます。導入で子どもから問いを引き出す工夫をすることも有効です。
- 時間管理: 哲学対話は時間がかかりやすい活動です。終了時間を見通し、対話の途中でも区切りをつける勇気も必要です。次回に持ち越すなど柔軟に対応します。
- 意見の記録: 模造紙やホワイトボードに意見を書き出すことで、思考が「見える化」され、子どもたちは自分や友達の考えを客観的に捉えやすくなります。
想定される子どもの反応と対話例
- 肯定的な意見: 「約束を守ると信用されるから」「相手が喜ぶから」「自分も守ってもらいたいから」
- 否定的な意見: 「めんどくさい時もある」「約束破っても大丈夫な時もある」
- 条件付きの意見: 「大切な約束は守るけど、そうでもないのはいいかな」「守れなかったら謝ればいい」
- 対話の例:
- Aさん:「約束は絶対に守らなきゃダメだと思う。破ると相手が悲しい気持ちになるから。」
- Bさん:「でも、急に熱が出ちゃって遊べなくなった時は仕方ないんじゃない?そういう時は、守らなくてもいい約束もあると思う。」
- ファシリテーター(教諭):「Bさんは『仕方ない時もある』と考えたんだね。Aさんはどうかな、急に熱が出た時でも、約束は守らなきゃいけないと思う?」
- Aさん:「うーん、それは仕方ないかも…。でも、もし熱が出たら、ちゃんと『ごめんね』って伝えないといけないと思う。」
- Cさん:「謝るのは大切だよね。謝ることで、また次約束できるようになるのかな?」
- ファシリテーター:「Cさんは、謝ることが次の約束につながるか、ということを考えているね。それは『信頼』ということと関係があるかもしれないね…」
成功事例と失敗事例から学ぶ
成功事例: * あるクラスでは、「宿題は誰との約束?」という問いから対話が始まり、「先生との約束」「親との約束」「自分自身との約束」という意見が出ました。「自分との約束を破ったらどうなる?」という問いに発展し、「自分が目標を達成できなくなる」「自分を信じられなくなる」といった内省的な意見も出て、深い議論になりました。
失敗事例: * 別のクラスでは、「約束を破ったことがある人?」という問いかけから始めたところ、名指しで非難するような雰囲気になり、萎縮して発言が止まってしまいました。→ 反省点として、個人的な経験の共有は否定的な感情につながりやすいため、より一般的な事例や架空の状況を設定すること、また場の安全性を徹底することが重要だと学びました。
多忙な現場でも取り入れやすい工夫
- 短い時間で実施: 終学活や帰りの会などで、一つの問いについて5分~10分だけ対話する時間を設ける。
- 特定の教科と連携: 道徳の授業で中心発問として哲学的な問いを取り入れる。国語の物語教材を読んだ後、「登場人物の約束についてどう思うか」など問いを立てて話し合う。学級活動の時間にクラスの目標やルールについて考える際に哲学対話の手法を用いる。
- 子どもたちに問いを募集: 事前に「約束についてみんなで考えたいこと」をカードに書いてもらい、そこから問いを選ぶ。問いを立てる過程も子どもたちの学びになります。
まとめ:「約束」を哲学的に考えることの意義
「約束」という身近なテーマを通して哲学対話を実践することは、子どもたちが自分を取り巻く世界や他者との関わりについて、主体的に考え、探究する機会となります。単に「約束は守るもの」という既成概念をなぞるのではなく、「なぜ?」を問い続けることで、信頼関係の築き方、責任の意味、そして社会の中で共に生きることの意味について、自分なりの考えを育んでいくことができます。
一回の対話で明確な結論が出なくても、子どもたちの心の中に「問い」が残り、日常生活の中で考え続けるきっかけとなることこそが、哲学教育の大きな目的の一つです。ぜひ、皆さんのクラスでも「約束」をめぐる対話に挑戦してみてください。