『嘘をつく』ってどういうこと?:子どもたちと「嘘」について哲学対話する授業実践例
はじめに:なぜ「嘘」について考えるのか
小学校の子どもたちの日常生活において、「嘘」は非常に身近なテーマです。親や先生に叱られないために隠す小さな嘘から、友達を傷つけないための優しい嘘、あるいは自分を守るための嘘まで、子どもたちは様々な場面で「嘘」と向き合っています。
「嘘をつくことは悪いことだ」と教えることは簡単です。しかし、哲学対話を通して「嘘をつくってどういうことだろう?」「なぜ人は嘘をつくのだろう?」「どんな嘘があるのだろう?」といった問いを探求することで、子どもたちは単なる善悪の判断を超え、人間関係や倫理、さらには自分自身の内面について深く考える機会を得ることができます。
この記事では、「嘘をつく」というテーマを取り上げ、小学校で哲学対話を行うための具体的なステップ、活動例、実践のポイントなどを紹介します。子どもたちの正直さや他者理解、そして倫理観を育む一助となれば幸いです。
実践のねらいと対象
この哲学対話を通じて、子どもたちには以下のような力の育成を目指します。
- 多角的な視点から物事を考える力: 「嘘」には様々な種類や背景があることに気づき、一つの側面だけでなく多角的に捉える。
- 自分の考えを言葉にする力: 「嘘」について自分がどのように感じ、考えているかを論理的に説明する。
- 他者の意見を尊重し、理解しようとする力: 自分とは異なる考えや経験があることを知り、耳を傾ける。
- 倫理的な判断力: どのような場合に「嘘」が問題となるのか、正直であることの難しさなどを通して、自分なりの倫理観を育む。
対象学年: 中学年~高学年(3年生~6年生)
中学年以上であれば、抽象的な問いにもある程度向き合え、多様な意見の交換が活発になります。低学年の場合は、「正直に話すことの大切さ」など、より具体的な事例やシンプルな問いから入る工夫が必要です。この記事では主に中学年~高学年を想定した内容で記述します。
授業実践例:哲学対話「『嘘をつく』ってどういうこと?」
ステップ1:問いの提示と導入(10分)
まず、子どもたちにとって身近な問いを提示します。
- 「みなさんは、『嘘』という言葉を聞いたことがありますか?」
- 「『嘘をつく』って、どんなことだと思いますか?」
子どもたちから自由な発想やイメージを聞き取ります。ホワイトボードなどに書き出していくと、子どもたちの関心を可視化できます。 この際、「嘘をついたことがある人は?」といった個人的な経験を問う質問は避けます。「もし、こんな時、どうかな?」と仮説の形で投げかけるか、一般的な問いかけに留めます。
ポイント: * 導入はあくまで「哲学対話の時間に入る」ためのきっかけと捉え、答え探しに終始しないようにします。 * 子どもたちが安心して発言できるよう、「どんな意見も間違いではない」「人の意見を笑わない」といった対話のルールを再確認します。
ステップ2:事例や物語を通した問いの深掘り(20分)
「嘘をつくってどういうこと?」という問いから派生する多様な問いを深掘りするために、具体的な事例や物語を活用します。
活動例:
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短い物語や絵本の活用:
- 「オオカミ少年」のような有名な寓話や、子ども向けの倫理的な問題を扱った絵本を読み聞かせます。
- 読み終えた後、物語の中の登場人物の行動について話し合います。
- 「オオカミ少年は、なぜ嘘をついたのだろう?」
- 「嘘をついた後、どうなっただろう? それはなぜだと思う?」
- 「もし自分が村人だったら、どう感じただろう?」
- 「最後に本当のことを言っても、信じてもらえなかったのはなぜだろう?」
- 物語の内容から離れて、より一般的な問いにつなげます。
- 「嘘をつくと、どんなことが起こると思う?」
- 「一度嘘をつくと、本当のことを言っても信じてもらえなくなることがあるかな? それはどうしてだろう?」
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架空の場面設定を用いた思考実験:
- 以下のような場面を設定し、「あなたならどうしますか?」「それはなぜですか?」と問いかけます。
- 「友達が、テストで悪い点を取ってしまったことを、お母さんに『普通だったよ』と伝えています。あなたはそれを聞いてしまいました。これは嘘だと思いますか? なぜそう思いますか?」
- 「お友達が一生懸命描いた絵を『見て!』と持ってきました。あなたは正直に『ちょっと変だね』と言いますか? それとも『すごいね、上手だね』と言いますか? なぜそうしますか? それは嘘になりますか?」
- 「やっていないのに、先生に『あなたがやりましたか?』と聞かれました。正直に『いいえ』と答えますか? それとも、みんなが自分を見ているのが怖くて、つい『はい』と言ってしまうことがあるでしょうか? その時、心の中ではどんな気持ちがするでしょう?」
- 以下のような場面を設定し、「あなたならどうしますか?」「それはなぜですか?」と問いかけます。
ポイント: * 事例は子どもたちの発達段階や興味に合わせて選びます。あまりに複雑すぎる状況は避けます。 * 「正解」を求めず、様々な意見が出やすいようにファシリテーションします。 * 子どもたちの発言の中に、「優しい嘘」「悪い嘘」「ごまかし」「言わないでおくこと」など、様々な「嘘」の種類や関連する概念が含まれていたら、それを拾い上げて「〇〇さんは『優しい嘘』って言ったけど、優しい嘘ってどんな嘘だろうね?」「△△さんは『ごまかし』って言ったけど、嘘とごまかしは同じかな?」と問いを広げていきます。
ステップ3:問いの共有と対話の展開(20分)
子どもたちから出てきた様々な問いや意見を整理し、全員で共有しながら対話を深めます。
問いの例(子どもたちから引き出す、または教師が提示する):
- 「嘘には、良い嘘と悪い嘘があると思う?」
- 「どうして人は嘘をつくのかな?どんな気持ちの時?」
- 「嘘をつくことと、本当のことを言わないでおくことは同じかな?違うかな?」
- 「本当のことって、何だろう?どうすれば分かるんだろう?」
- 「正直でいることは、いつも難しいこと?」
- 「もし世界中の人が誰も嘘をつかなくなったら、どうなるだろう?」
対話の進め方:
- 一人の意見に対して、他の子が「それについてどう思う?」と応答する形で進めます。
- 教師は「なぜそう考えるのかな?」と理由を尋ねたり、「それと違う意見はないかな?」と多様な考えを引き出したりします。
- 議論が停滞したり、特定の意見に偏ったりした場合は、「もし、こういう場合はどう考えられるだろう?」と別の角度からの問いを投げかけます。
- 全員が一度は発言できる機会を設けるように配慮します。パスすることも認めます。
ステップ4:振り返りとまとめ(10分)
対話を通して考えたこと、気づいたこと、分からなかったことなどを振り返ります。
- 「今日の哲学対話を通して、『嘘』について新しく分かったことはありますか?」
- 「考え方が変わった人はいますか?」
- 「もっと考えてみたいと思ったことはありますか?」
- 「難しかったことは何ですか?」
教師は、今回の対話で出てきた多様な意見や問いを簡単にまとめ、対話を通して答えが一つに決まるのではなく、様々な考え方があること、問い続けることの大切さを伝えます。すぐに「嘘をつかないようにしよう」という結論に持っていく必要はありません。
ポイント: * 子どもたちの気づきや学びを大切にします。 * 対話の「質」を褒めます。(例: 「〇〇さんの『なぜそう思うの?』という質問が、みんなが考えるきっかけになったね」) * 対話はこれで終わりではなく、これからも日常生活の中で考え続けていくこと、というメッセージを伝えます。
実践におけるポイントと注意点
- 安全な場の確保: 子どもたちが安心して自分の考えを話せる雰囲気を最も大切にします。個人的な経験の追及や、意見の否定は厳禁です。
- 教師はファシリテーター: 教師は自分の考えを押し付けたり、正解を教えたりしません。あくまで対話がスムーズに進むように、問いを投げかけたり、意見を整理したり、多様な視点を引き出したりする役割に徹します。
- 問いを大切にする: 答えを出すことよりも、良い問いを立て、みんなで一緒に考えるプロセスそのものを楽しみます。一つの問いから次の問いへと自然に流れていくように促します。
- 時間配分: 子どもたちの集中力に合わせて時間を設定します。最初は短時間(30分程度)から始めても良いでしょう。
- 記録の活用: ホワイトボードや模造紙に子どもたちの意見や問いを書き出すことで、考えが整理され、視覚的に共有できます。
想定される子どもの反応と対話の例
- 子A: 「嘘は絶対にいけないことだと思う。怒られるし、後で困るから。」
- 教師: 「なるほど、怒られるし困るからいけないことだと思うんだね。〇〇さん(子A)は、嘘をつくとどうして怒られるんだと思う?」
- 子B: 「でも、お母さんに心配かけたくなくて、『大丈夫だよ』って言っちゃったことがある。それは優しい嘘?」
- 教師: 「△△さん(子B)は、誰かを心配させないために言った嘘を『優しい嘘』って言ったね。みんなは『優しい嘘』についてどう思う?『優しい嘘』はつついてもいい嘘なのかな?それとも、やっぱり嘘は嘘?」
- 子C: 「嘘と、本当のことを言わないでおくのは違うと思う。嘘はわざと違うことを言うことだけど、言わないのはただ黙っているだけだから。」
- 教師: 「□□さん(子C)は、嘘と『言わないでおくこと』は違うって考えたんだね。この二つの違いは、どこにあると思う?みんなはどう考えますか?」
このように、子どもたちの素朴な疑問や意見から、倫理的な判断、意図と結果、言葉と沈黙の違いなど、様々な哲学的な問いへと展開していきます。
失敗事例とそこから学べること
失敗例: 特定の子が個人的な失敗談を話し始めてしまい、場が重くなってしまった。 考察と学び: 哲学対話は個人的な告白の場ではありません。プライベートな経験を話すことの心理的安全性に配慮が必要です。事前に「個人的な秘密や、話しにくいことは話さなくて大丈夫です。架空の場面や一般的なこととして考えてみましょう。」といったルールを明確に伝えることが重要です。もし個人的な話が出てしまった場合は、「そういうこともあるかもしれないね。では、もしこのようなことが起こった場合、一般的にはどんなことが考えられるかな?」のように、普遍的な問いに戻すように促します。
失敗例: 議論が「嘘をついてバレた時の罰」など、表面的な結果やルールに終始してしまい、本質的な問いに進めなかった。 考察と学び: 子どもたちは往々にして、ルールや罰といった分かりやすい判断基準に頼りがちです。教師はファシリテーターとして、「なぜそのルールがあるのだろう?」「なぜ罰があることで、人は嘘をつかなくなるのだろうか?」「罰がなくても、嘘をつかない方が良い理由はあるかな?」といった問いを粘り強く投げかけ、より深いレベルでの思考を促す必要があります。
多忙な現場でも取り入れやすい工夫
- 短い時間で実施: 全体を45分~60分確保するのが理想ですが、朝の会や帰りの会の時間を利用して、一つの問いについて10分程度の短い対話を行うことも可能です。
- 特定の教科と連携: 道徳の時間はもちろん、国語科の物語文読解と関連付けたり、総合的な学習の時間で「人間関係」や「社会のルール」といったテーマを探求する一環として取り入れたりできます。
- 準備を最小限に: 難しい資料は使わず、ホワイトボードとペン、付箋があればすぐに始められます。導入の事例も、その場で考えられる簡単なシチュエーションで十分です。
おわりに
「嘘」というテーマは、子どもたちが社会の中で他者と関わり、自分自身の内面と向き合う上で避けて通れないものです。この哲学対話の実践を通じて、子どもたちは「嘘をつくこと」の多面性や複雑さを知り、正直であることの価値と難しさ、そして他者への想像力や共感について深く考えることができるでしょう。
哲学対話は、教師が子どもたちに何かを「教える」時間ではなく、子どもたちが自ら問いを立て、考え、対話し、互いに学び合うプロセスを大切にする時間です。この記事で紹介した事例が、現場で子どもたちの「考える力」「対話する力」を育む実践の一助となれば幸いです。