『大切にする』って、どういうこと?:子どもたちと「価値」を哲学する対話の授業実践例
なぜ、子どもたちと「大切にすること」について哲学対話するのか
小学校の子どもたちは、日常生活の中で「これを大切にしようね」「時間を大切に使ってね」といった言葉を耳にしたり、使ったりする機会がよくあります。しかし、「大切にする」とは具体的にどういうことなのか、何をもって「大切」と呼ぶのかを深く考える機会は少ないかもしれません。
「大切にすること」について考えることは、自分自身が何を価値あるものと感じているのか、なぜそれを大切に思うのかを理解することにつながります。また、自分以外の人が大切にしているものや、大切にしている理由が自分とは違うことに気づき、多様な価値観が存在することを学ぶ機会にもなります。これは、自己理解を深め、他者への想像力や共感力を育む上で非常に重要です。
さらに、「なぜルールやきまりを大切にする必要があるのか」「公共物を大切にするのはなぜか」といった社会的な規範や倫理についても考えるきっかけとなります。子どもたちが主体的に「大切にする」という行為の持つ意味や価値について問いを立て、対話を通して考えを深めることは、単なる知識の習得にとどまらず、主体的な思考力や倫理観の基盤を育むことにつながるでしょう。
このテーマでの哲学対話は、子どもたちの身近な経験や感情から出発できるため、比較的導入しやすく、多様な学年で実践可能です。
授業実践例:身近なものをとおして「大切」を考える
ここでは、低学年、中学年、高学年それぞれの発達段階を考慮した活動例と、対話の進め方を紹介します。
低学年向け:「わたしのたからもの」を見せながら話そう
- ねらい: 身近な「モノ」を通して、「大切」と感じる具体的な対象があることを知り、なぜそれが大切なのかを簡単な言葉で表現してみる。友達が大切にしているものや理由に触れる。
- 活動例:
- 事前に子どもたちに「あなたが一番大切にしているもの(おもちゃ、本、写真など)」を一つ教室に持ってきてもらうよう伝えます。(壊れやすいものや高価なものは避ける、写真でも良いなど、家庭への配慮も忘れずに伝えます。)
- 活動の始まりに、「みんなには、もしかしたら『これは宝物!』とか、『これはすごく大切にしているんだ』というものがあるかな?」と問いかけ、テーマへの関心を高めます。
- 一人ずつ、持ってきてもらった「宝物(大切にしているもの)」をみんなに見せながら、「これは〇〇です」「これがどうして大切かというと、△△だからです」のように、簡単な言葉で紹介する時間を設けます。
- 時間が許せば、いくつか質問の時間を設けます。「それはいつから大切にしているのですか?」「それがあるとどんな気持ちになりますか?」など、子どもたちの発言を受けて問いを広げます。
- 対話のポイント:
- 発表形式にせず、あくまで「対話」であることを意識します。発表者が話し終えたら、聞いている側の子どもたちが「どうしてそれが大切なの?」と質問したり、自分の「大切にしているもの」と比べて気づいたことを話したりする時間を作ります。
- 教師は「みんなの宝物は、形も違うし、大切にしている理由も違うんだね」「〇〇さんのおもちゃは、遊ぶのが楽しいから大切なんだね。△△さんの写真は、思い出がいっぱいだから大切なんだね」のように、子どもたちの言葉を丁寧に拾い上げ、多様な「大切」の理由があることを共有します。
- 「モノ」だけでなく、「家族」「友達」など、具体的な対象にも目を向けられるよう、教師が例を出すことも考えられます。
- 想定される子どもの反応例:
- 「このぬいぐるみは、小さいときからずっと一緒に寝てるから大切。」
- 「この本は、お母さんが誕生日にくれたから大切。」
- 「カードゲームは、友達と遊べて楽しいから大切。」
- 「私の宝物はお兄ちゃん!いつも一緒に遊んでくれるから。」
中学年向け:「大切」ってどういうこと?身近な例から考えよう
- ねらい: 「大切にする」という言葉の持つ意味を具体的に掘り下げ、モノだけでなく、時間や約束、友達の気持ちなど、目に見えないものにも「大切にする」という対象があることに気づく。なぜそれを大切にする必要があるのか、理由を言葉にして表現し、共有する。
- 活動例:
- 導入として、いくつかの絵や写真を見せます。「ピカピカの鉛筆」と「短くなった鉛筆」、「約束の時間に間に合った場面」と「遅れてしまった場面」、「友達が悲しんでいる顔」といった対になるようなものを用意します。
- それぞれの絵や写真を見て、「この中で、『大切にされているな』と感じるものはどっちかな?」「それはどうしてそう思うのかな?」と問いかけます。
- 子どもたちの意見を聞きながら、「大切にする」とは具体的にどんな「こと」をするのだろう?と問いを深めます(例:「鉛筆を大切にする」って、使った後にケースに戻すこと? 落とさないこと? 最後まで使うこと?)。
- ブレインストーミング形式で、「みんなが『大切にしているな』と思うものを、できるだけたくさん出してみよう!」と投げかけ、出てきたものを板書します(モノ、人、時間、約束、ルール、思い出、気持ちなど)。
- 出てきたものの中からいくつかを選び、「なぜそれが大切なんだろう?」「大切にしないとどうなるだろう?」といった問いで対話を深めます。
- 対話のポイント:
- 「大切にする」という「行為」そのものに焦点を当てます。「物をきれいに使う」「時間を守る」「友達の話をよく聞く」など、具体的な行動に結びつけて考えられるように促します。
- 「なぜ大切にする必要があるのか」という理由を掘り下げます。「壊れたら使えなくなるから」「遅れると相手が困るから」「友達が嫌な気持ちになるから」など、理由の多様性を共有します。
- 「みんなが同じものを大切にしているとは限らないこと」にも触れます。「Aさんはゲームが大切だけど、Bさんは本が大切。どっちも大切にしていいのかな?」といった問いを入れることで、価値観の多様性や、お互いの「大切」を尊重することの必要性について考える機会を作ります。
- 想定される子どもの反応例:
- 「時間を大切にするっていうのは、遊ぶ時間を決めたり、宿題を早く終わらせたりすることかな。」
- 「友達の気持ちを大切にするのは、嫌がることをしないとか、困っているときに助けることだと思う。」
- 「ルールを大切にしないと、ケンカになっちゃうから。」
- 「ゲームは自分にとってはすごく大切だけど、お父さんにとっては仕事道具の方が大切みたい。人によって違うんだね。」
高学年向け:多様な価値観と「大切にする」ということ
- ねらい: より抽象的な概念(ルール、環境、平和、自分の考えなど)にも目を向け、「大切にする」ことの意味を多角的に考える。価値観の多様性から生じる葛藤や対立について考察し、異なる「大切」を持つ人々とどのように関わっていくべきかといった倫理的な側面に踏み込む。
- 活動例:
- 導入として、複数の立場の人が異なるものを大切にしている状況を設定した短い物語や事例を提示します(例:開発のために森を伐採したい人々と、森の自然や動物を大切にしたい人々。テストの点数を一番大切に考える子と、友達と協力することを大切に考える子)。
- 提示された事例について、「登場人物はそれぞれ何を大切にしているだろう?」「なぜそれを大切にしているのだろう?」と問いかけ、それぞれの立場に寄り添って考えます。
- 「もしあなたがその登場人物だったら、どうする?」「どうすれば、みんなが大切にしているものを、できるだけ大切にできる方法が見つかるだろう?」といった問いで対話を深めます。
- さらに、「自分の『大切』と、友達の『大切』がぶつかったときはどうすれば良いだろう?」「社会の中で、みんなが共通して大切にすべきことってあるのかな?」といった普遍的な問いに広げていきます。
- 「自由」「平等」「平和」といった抽象的な言葉についても、「『平和を大切にする』って、どんなことかな?」「世界には、平和よりも他に大切にしているものがある人もいるのかな?」などと問いかけ、深く探究します。
- 対話のポイント:
- 単に意見を出し合うだけでなく、なぜそう考えるのか、その考えの背景には何があるのか、異なる考えの人がいるのはなぜか、といった理由や背景を深く掘り下げます。
- 絶対的な「正解」や「一番大切にするべきもの」はない、という前提に立ちます。多様な価値観があることを認め、お互いの考えを尊重する雰囲気づくりを大切にします。
- 異なる価値観を持つ人々が共存していくためには何が必要か、という倫理的な問いへと繋げられるように、教師は問いかけを工夫します。
- 対立する意見が出た際には、「〇〇さんはAが大切だと言いました。△△さんはBが大切だと言いました。この二つは違うけれど、どちらも大切にしたいと思っているんですね。こうした時にはどんな難しさがあるでしょう?」のように、状況を整理し、対話の糸口を見つけます。
実践のためのステップと準備
- テーマの導入方法を考える: 絵本、写真、短い動画、日常の出来事、教科書の内容、簡単な問いかけなど、子どもたちが興味を持ちやすい導入を準備します。
- 問いを設定する: 子どもたちの発達段階に合わせて、具体的で開かれた問いを設定します。「〇〇を大切にするのは良いことですか?」のような閉じられた問いよりも、「『大切にする』ってどういうこと?」「何が大切?」「なぜそれを大切にしたいの?」のような、多様な答えを引き出す問いが適しています。
- 安心できる場をつくる: 「どんな意見も間違いではない」「人の話を最後まで聞く」「友達の考えを大切にする」といった対話のルールを事前に確認し、安心して自分の考えを話したり、友達の考えを聞いたりできる雰囲気を作ります。
- 活動方法を準備する: 全体での対話、グループでの話し合い、ペアワーク、書く活動(思考ツールなど)、発表など、子どもたちの人数やテーマに合わせて多様な活動方法を準備します。低学年であれば「宝物紹介」、中学年であれば「大切マップづくり」、高学年であれば「価値観ディベート」なども考えられます。
- 時間の配分を考える: 導入、個人で考える時間、グループ・全体での対話、まとめなど、活動時間に合わせて適切な時間配分を考えます。最初は10分〜15分程度の短い時間から始めても良いでしょう。
- 記録の準備: 子どもたちの発言を板書したり、記録係を置いたりすることで、対話の流れを可視化し、後で振り返られるようにします。
実践におけるポイントと注意点
- 教師はファシリテーターに徹する: 教師が自分の価値観を押し付けたり、特定の意見を「正解」としたりしないことが重要です。子どもたちの発言を傾聴し、分からないところを質問したり、異なる意見をつなげたり、思考を深めるような問いを投げかけたりすることで、子どもたち自身が考える手助けをします。
- 多様な意見を歓迎する: 子どもたち一人ひとりが異なる経験や考えを持っています。「自分はそう思わなかったけど、そういう考えもあるんだな」と、多様な価値観があることを学ぶ機会と捉えます。意見が対立しても、それは自然なことであり、どうすれば対立する価値観を持つ人々が共に生きられるかを考えるチャンスと捉え、対話を続けます。
- 沈黙も大切にする: すぐに答えが出なくても焦らないことです。子どもたちが考える時間として、沈黙を大切に見守ります。
- 日常と結びつける: 対話で考えたことを、普段の生活(持ち物を大切に使う、時間を守る、友達に優しくするなど)と結びつけて振り返る機会を設けると、学びが定着しやすくなります。
- 無理強いしない: 全員が必ず発言する必要はありません。聞いているだけでも対話に参加していると捉え、安心して参加できる方法(書く、ジェスチャーで示すなど)も用意しておきます。
想定される課題と対処法
- 「大切」の対象がモノに偏る:
- 対処法:モノ以外の例(人、時間、思い出、約束、気持ち、自然など)を教師が意図的に提示したり、絵本や写真などの導入で抽象的なテーマに触れたりします。
- 特定の価値観を絶対視する発言が出る:
- 対処法:「どうしてそう思うのかな?」「他の考え方をする人もいるかもしれないね。それはどうしてだろう?」のように問い返し、多角的な視点を持つことを促します。異なる意見が出た際に、「〇〇さんはこう言ったけれど、△△さんは違う考えみたい。これはどういうことだろう?」のように、違いに目を向けさせ、理由を考えるように促します。
- 対話が盛り上がらない/脱線する:
- 対処法:問いが抽象的すぎないか見直します。子どもたちが答えやすい身近な具体例から始めたり、絵や写真を使ったりします。問いを板書して共有したり、話がそれそうになったら「今の話も面白いけれど、今日のテーマの『大切にする』こととどう関係があるかな?」のように、テーマに戻すように促します。
- 一部の子どもだけが発言する:
- 対処法:ペアや少人数グループでの話し合いの時間を設けます。全員が短い言葉でも発言する機会(例:「あなたが大切にしているもの一つだけ教えて」)を作ったり、話すのが苦手な子には付箋に書く活動などを取り入れたりします。
まとめ
「『大切にする』って、どういうこと?」という問いを入り口にした哲学対話は、子どもたちが自分自身の価値観に気づき、他者の多様な価値観に触れる貴重な機会となります。身近なモノから出発し、時間、約束、気持ち、ルール、そしてより抽象的な概念へと「大切にする」対象を広げていくことで、子どもたちの思考は深まっていきます。
このテーマでの対話を通して、子どもたちは、単に「大切にしなさい」と言われるだけでなく、「なぜ大切にするのか」「何を大切にするのか」を自分自身の頭で考え、言葉にする力を養うことができます。そして、自分とは異なる「大切」を持つ人々と共に生きていくために何が必要か、という倫理的な思考の芽を育むことにもつながるでしょう。
多忙な日々の中でも、朝の会や帰りの会、道徳や総合的な学習の時間の一部など、短い時間からでもこの対話を取り入れてみてはいかがでしょうか。子どもたちの多様で豊かな考えに触れることは、きっと私たち教師にとっても新たな発見と学びがあるはずです。