「正しい」ってどういうこと?:何をもって判断する?哲学対話の授業実践例
「正しい」とはどういうことか?:子どもたちと考えたい「判断の基準」
子どもたちの日常でも、私たち大人の社会でも、「正しい」「間違っている」という言葉は頻繁に使われます。しかし、「正しい」とは一体どういうことなのでしょうか。何をもって「正しい」と判断するのでしょうか。一見当たり前のように思えるこの言葉には、多様な考え方や価値観が隠されています。
哲学対話は、このような日常に潜む素朴な疑問を深く掘り下げ、子どもたちの考える力や対話する力を育む有効な手法です。今回は、「正しい」というテーマを小学校の子どもたちと探求する授業実践例をご紹介します。この対話を通して、子どもたちが安易な決めつけではなく、自分の頭で考え、多様な意見に触れる機会を提供することを目指します。
なぜ「正しい」を哲学対話で扱うのか
小学校の子どもたちは、ルールや先生の言葉、多数派の意見などを「正しいもの」として受け入れやすい傾向があります。これは社会性を身につける上で重要なことですが、一方で「なぜそれが正しいとされるのだろう」「異なる意見でも正しい場合はあるのだろうか」といった批判的・多角的な視点を持つ機会が少ない場合もあります。
「正しい」というテーマでの哲学対話は、以下のような力を育むことにつながります。
- 判断力を育む: 物事を一方的に受け止めるだけでなく、自分なりの基準で考え、判断しようとする姿勢を養います。
- 多様な価値観への理解: 「正しい」とされる基準が人や状況によって異なることに気づき、他者の意見の背景にある考え方に関心を持ちます。
- 問いを立てる力: 当たり前だと思っていたことに対して、「なぜそうなのか」「他に考え方はないか」と疑問を持つ力を育みます。
- 対話を通じて合意形成を試みる力: 意見が異なる中で、互いの考えを聞き、共通点や相違点を見出しながら、共に考える過程を経験します。
授業実践例:「正しい」をめぐる哲学対話
1. 問いの導入(10分)
まずは、子どもたちにとって身近な「正しい」をめぐる問いや状況を提示し、テーマへの関心を高めます。
- 導入活動の例:
- 具体的なジレンマ事例の提示:「帰り道、友達が道に落ちている財布を見つけました。周りに誰もいません。友達は『交番に届けたら、お礼がもらえるかもしれないね』と言いました。この友達の考えは正しいと思いますか?」「なぜそう思いますか?」
- 簡単なクイズやゲームで「正解があること」を体験させ、「勉強には正しい答えがあることが多いけど、世の中には正しい答えが一つじゃないこともたくさんあるね」と問題提起する。
- 「みんなで話し合って決めたことは、いつも正しいことなのかな?」と問いかける。
子どもたちの反応を見ながら、今回の対話で一番深く掘り下げたい問いを子どもたち自身に選んでもらう、または教師が提示する問いに絞ります。例えば、「『正しい』ってどういうことだろう?」をメインの問いとし、「何をもって『正しい』と判断するのかな?」といった副次的な問いを用意します。
2. 自分の考えを深める(15分)
選んだ問いについて、一人ひとりがじっくり考える時間を作ります。
- 活動例:
- ワークシートや付箋に、選んだ問いに対する自分の考えや、なぜそう考えるのか理由を書きます。「〇〇だと思う。なぜなら△△だからです。」
- 「あなたが『正しい』と思うのはどんな時ですか?」「何が『正しい』かの『もとになるもの』は何でしょう?」といったヒントになる問いを提示する。
- 絵や記号で表現しても良いことを伝え、思考を促します。
この時間は、他者の目を気にせず、自由に考えを発展させる大切なステップです。
3. 小グループでの対話(20分)
4〜5人の小グループに分かれ、自分の考えを共有し、互いの意見に耳を傾けます。
- 活動例:
- 各自が書いたものを持ち寄り、順番に発表します。
- 発表に対して、疑問に思ったことや、もっと詳しく聞きたいことを尋ね合います。「どうしてそう思ったの?」「それは、△△ということかな?」
- グループの中で、似ている考え、違う考えは何かを見つけます。
- 「グループとして、『正しい』ってこういうことじゃないかな?と話し合ってみましょう」と促す。
教師は、各グループを回りながら、子どもたちの対話に耳を傾け、必要に応じて問いかけたり、少し難しい言葉を分かりやすく言い換えたりします。意見の対立が起きても、すぐに仲裁するのではなく、「違う考えがあるんだね。どうしてそう考えたのかな?」と問い返し、異なる意見が存在することを受け止める雰囲気を作ります。
4. 全体での共有と深掘り(25分)
小グループでの対話を経て見出された意見や問いを全体で共有します。
- 活動例:
- 各グループから、「私たちのグループでは、〇〇という意見が出ました」「△△という点が話し合って分からなくなりました」といった形で発表してもらいます。
- 全体で共有された様々な意見(例:「ルールを守ることが正しい」「みんなのためになることが正しい」「先生が言うことが正しい」「自分の心が正しいと思うことが正しい」など)を黒板などに書き出します。
- それぞれの意見に対し、「なぜそう思うのかな?」「それはどんな時に当てはまるかな?」「その考え方だと、うまくいかないことはあるかな?」といった問いを投げかけ、さらに掘り下げます。
- 意見が対立した場合、「〇〇さんは△△と言っています。一方、□□さんは××と言っています。この二つの考えはどこが違うかな?どちらも『正しい』と言える時もあるかな?」と、違いを分析し、両方の視点から考えることを促します。
- 「『正しい』かどうかの判断は、状況によって変わるかな?」「誰が『正しい』かを決めるんだろう?」など、新たな問いも生まれてくるかもしれません。
教師は、特定の意見に肩入れせず、すべての意見に価値があることを示す姿勢を貫きます。子どもたちの言葉を丁寧に拾い、分かりやすく整理しながら、対話が深まるようにサポートします。
5. 対話を振り返る(10分)
対話全体を通して、子どもたちが何を感じ、何を考えたのかを振り返ります。
- 活動例:
- 「今日の話し合いで、新しく知ったことや気づいたことはありますか?」「考え方が変わったことはありますか?」「難しかったことは何ですか?」といった問いかけをします。
- ワークシートにまとめたり、隣の子とペアで話したりする時間を作る。
答えが一つにまとまらなくても、「『正しい』には色々な考え方があることが分かったね」「みんな違う考えを持っているけど、それぞれの考えに理由があることが分かったね」といった気づきを共有し、対話の意義を確認します。
実践におけるポイントと注意点
- 安心できる場づくり: どのような意見も否定されない、安心して発言できる雰囲気作りが最も重要です。教師自身が「正解」を知っているわけではなく、子どもたちと一緒に考える姿勢を示すことが大切です。
- 問いの重要性: 子どもたちの素朴な疑問から問いを立てたり、具体的な事例から問いを絞り込んだりすることで、自分事として考えやすくなります。教師が一方的に問いを与えるのではなく、子どもたちの中から問いが生まれるような関わりを心がけましょう。
- 「答えがないこと」を受け止める: 哲学対話は必ずしも結論を出すことが目的ではありません。多様な考えがあること、簡単に答えが出ない問いがあること、それでも考え続けることに価値があることを伝えます。
- 教師の問いかけの技術: 子どもの発言を繰り返す、理由を尋ねる、他の意見との関係性を問う、具体例を求めるなど、様々な問いかけを使い分け、対話の質を高めます。
想定される子どもの反応と対話の例
- 子どもA: 「先生が言ってるから正しいんだと思う。」
- 教師: 「なるほど、先生が正しいと言うから正しい、と考えたんだね。どうして先生の言うことは正しいと思うのかな?」
- 子どもB: 「ルールを守ることが正しいと思う。ルールを破ったらみんな困るから。」
- 教師: 「ルールを守ることが正しい、それはみんなが困らないため、と考えたんだね。もし、ルール通りにやったら、かえってみんなが困ってしまうような時はどうかな?それでもルールを守るのが正しいと言えるかな?」
- 子どもC: 「私は、自分が良いと思ったことが正しいと思う。」
- 教師: 「自分が良いと思ったことが正しい、と感じるんだね。それはどんな時かな?もし、あなたが良いと思ったことが、他の人を傷つけてしまったら、それでも正しいと言えるかな?」
- 子どもD: 「状況によって、何が正しいかは変わるんじゃないかな。前は正しかったことが、今は違う、ってこともあると思う。」
- 教師: 「状況によって変わる、というのはとても大切な視点だね。例えば、どんな時に「正しい」が変わると思う?具体的な例はあるかな?」
成功事例と失敗事例、そこから学べる示唆
- 成功事例: 子どもたちの中から、自分たちのクラスのルールについて「このルールは、本当に正しいのかな?」「誰のためにあるんだろう?」といった問いが生まれ、話し合いにつながった。複数の意見が出た後、「『正しい』って一つだけじゃないんだね」「みんな違う考え方をするんだね」という気づきが子どもたちから聞かれた。
- 失敗事例: 一部の活発な子どもだけが発言し、他の子どもがほとんど話さなかった。教師が意図せず、特定の意見に肯定的・否定的な反応をしてしまい、子どもが自由に発言しづらい雰囲気になった。「結局、何が正しいか分からなかった」と、答えが出ないことにフラストレーションを感じる子どもがいた。
- 示唆: 少人数グループでの対話を取り入れる、事前に考えをじっくり書く時間を確保する、教師の言葉遣いや表情に注意する、答えが出ない探求の面白さを伝える、などの工夫が重要です。特に、発言が少ない子どもにも「何か気になることはあった?」「他の人の意見を聞いてどう思った?」と優しく問いかけるなど、全員が対話に参加できているか気を配る必要があります。
多忙な現場でも取り入れやすい工夫
- 既存の時間を活用する: 道徳の授業で扱われるテーマ(正直、友情、規則など)や、国語教材で出てくる登場人物の言動、学級活動での話し合い(係活動、イベントなど)など、既存の教育活動の中で自然に生まれる疑問を哲学的な問いにつなげてみる。
- 短時間から始める: 最初から本格的な対話の時間を設けるのではなく、「今日の給食の時間、〇〇なことがあったけど、あれって『正しい』ことだったのかな?どう思う?」など、日常の隙間時間で短く問いを立て、考える習慣をつける。
- 「問いのポスト」を設置: 子どもたちが日常の中で感じた「これってどういうこと?」「どうしてこうなるの?」といった疑問を自由に書ける「問いのポスト」を作り、そこから対話のテーマを拾い上げる。
- 導入だけ、振り返りだけを取り入れる: 対話全体を行うのが難しければ、まずは魅力的な問いを投げかける時間や、対話を振り返る時間だけを取り入れてみる。
まとめ
「正しい」という問いは、子どもたちが社会の中で生きていく上で避けて通れないテーマです。この哲学対話を通して、子どもたちは単に「正解」を覚えるのではなく、「なぜそれが正しいとされるのか」「本当にそうなのか」と問い直し、様々な可能性を考える力を育んでいきます。
すぐには目に見える成果が出にくい教育活動かもしれませんが、このような問いを探求する経験は、子どもたちが将来、複雑な問題に直面した際に、自分の頭で考え、他者と対話しながらより良い判断をしていくための基盤となります。ぜひ、子どもたちと共に「正しい」とは何か、探求する対話の時間を持ってみてください。