小学校での哲学対話:「普通」ってなんだろう?多様な考えに触れる授業実践例
はじめに:なぜ小学校で「普通」を問い直すのか
小学校の子どもたちは、集団生活の中で「みんなと同じであること」や「普通であること」を強く意識する時期があります。しかし、社会が多様化する中で、一人ひとりが異なる価値観や考え方を持っていること、そしてその違いを認め合うことの重要性は増しています。「普通ってなんだろう?」という問いは、一見素朴ですが、他者理解や多様性の尊重、そして自分自身の価値観について深く考えるきっかけを与えてくれます。
本記事では、小学校において「普通」というテーマで哲学対話を取り入れた授業実践について、具体的な進め方やポイント、想定される子どもの反応などを紹介します。この実践を通して、子どもたちが固定観念にとらわれず、多様な視点から物事を捉え、他者との対話を通じて自身の考えを深める力を育むことを目指します。
実践事例紹介:「『普通』ってなんだろう?」哲学対話の時間
- 対象学年目安: 小学校中学年〜高学年(4年生〜6年生)
- 所要時間目安: 45分〜90分(子どもの集中力や対話の深まりに応じて調整)
- 実施場所: 教室
- 教科: 道徳科、総合的な学習の時間、学級活動などで実施可能。
授業のねらい
- 「普通」という言葉や概念について多角的に捉え、自身の考えを持つ。
- 他者の多様な考えに触れ、違いがあることを認識し、尊重する姿勢を育む。
- 自身の「普通」という考えが、必ずしも他の人にとっての「普通」ではないことに気づく。
- 対話を通じて考えを深めたり、問いを立てたりする力を養う。
授業の具体的な進め方
以下は、一つの授業モデルです。子どもの様子や状況に合わせて適宜変更してください。
ステップ1:導入(10分)
- テーマ提示: 「今日は『普通』という言葉についてみんなで考えてみたいと思います。」とテーマを提示します。
- 言葉の確認: 「『普通』って、どんなときに使う言葉かな?」と問いかけ、子どもたちから言葉や使い方を集めます。(例:「普通はこうするよね」「普通ならできるよ」「普通の大きさ」など)
- 問いの提示: 集まった言葉や使い方から、「じゃあ、『普通』って一体なんだろう?」「何をもって『普通』と言うのだろう?」という問いを立て、ホワイトボードなどに書きます。
ステップ2:個人思考の時間(15分)
- 問いへの応答: 提示された問いについて、一人で考える時間を設けます。
- 思考シート記入: 考える手がかりとして、「あなたが『普通』だと思うことは何ですか?」「『普通』と違うことは、どういうことだと思いますか?」「『普通』って、あると良いのかな、無い方が良いのかな?」といった問いが書かれた思考シート(後述の準備物を参照)を配布し、自分の考えを書き出してもらいます。絵や図で表現しても構いません。
- 教師の巡回: 子どもたちが考えを深められるように、必要に応じて個別に簡単な問いかけを行います。(例:「どうしてそう思ったの?」「それは誰にとっての普通かな?」など)
ステップ3:グループ対話(20分)
- グループ編成: 4〜6人程度のグループを作ります。
- 考えの共有と対話: 個人で考えたことやシートに書いたことをグループ内で共有します。一人ひとりが自分の考えを話す時間を確保し、その後、互いの考えについて問いを立てたり、感想を述べたりする対話を行います。
- 対話の促進: 教師はグループを巡回し、対話が止まっているグループには、「○○さんの考えを聞いてどう思った?」「△△さんが言った『普通』と、□□さんが言った『普通』は同じかな、違うかな?」など、対話を促す問いかけを行います。特定の意見に偏らないように、「他の考えもあるかな?」と問いかけることも大切です。
ステップ4:全体共有と対話(20分)
- グループ発表: 各グループで出た多様な意見や、特に興味深かった考え、話し合った中で生まれた新たな問いなどを全体で共有します。代表者が発表したり、ホワイトボードに書いたりする方法が考えられます。
- 全体での対話: 全体で共有された多様な考えや問いについて、さらに深く対話します。「この意見についてどう思いますか?」「Aさんの考えとBさんの考えは、どこが同じで、どこが違うのだろう?」「結局、『普通』って、一つだけではないのかな?」など、教師が問いを投げかけながら、全員で考えを深めていきます。
- 違いを認める: 「みんな本当に色々な考えを持っているね。これが普通だと思っている人もいれば、あれが普通だと思っている人もいる。あるいは、『普通』なんてない、と思う人もいる。どれが正解、間違いということはないんだね。」と、多様な考え方があることを認め、違いがあるからこそ学びがあることを伝えます。
ステップ5:まとめ(5分)
- 振り返り: 今日の対話を通して気づいたこと、考えが変わったこと、難しかったことなどを簡単に振り返ります。(例:「前はこれが普通だと思っていたけど、他の人の話を聞いて色々な普通があるって分かった」「『普通』って言葉を使うときに、誰にとっての普通か考えようと思った」など)
- 日常への接続: 「今日の対話であったように、私たちの周りには色々な『普通』があるかもしれません。例えば、クラスの中にも、家の中でも、地域の中でも。みんなが自分とは違う考えを持っていることを心に留めておくと、色々なことが見えてくるかもしれませんね。」と、学びを日常生活につなげる言葉を伝えます。
準備物
- ホワイトボードまたは黒板(問いやキーワードを記述)
- 思考シート(「あなたが『普通』だと思うことは何ですか?」「『普通』と違うことって?」「『普通』は必要?」などの問い、記入スペース)
- 筆記用具
- (必要に応じて)グループでの話し合いを記録する大きな紙や付箋
対象学年と発達段階への配慮
- 中学年(3・4年生): 抽象的な概念を捉え始める時期ですが、「普通」という言葉は日常的によく使われるため、導入しやすいテーマです。具体的な例(「普通の大きさ」「普通にできる」など)から問いに入り、身近な出来事や経験と結びつけて考えられるように促すと良いでしょう。思考シートの問いはシンプルにし、絵や簡単な言葉で表現できるようにします。
- 高学年(5・6年生): より抽象的な議論が可能になります。「なぜみんなと同じがいいのだろう」「普通って誰が決めるのだろう」といった、概念そのものやその背景にある社会的な側面についても問いを深めることができます。自分の考えを論理的に説明したり、他者の意見との違いを明確にしたりする力を引き出す問いかけを取り入れます。思考シートの問いも、もう少し掘り下げたものにしても良いでしょう。
実践のポイント、注意点、よくある課題とその対処法
- 安全な対話の場の設定: 哲学対話において最も重要なのは、どんな意見も否定されず、安心して発言できる雰囲気を作ることです。授業の初めに、「ここではどんな考えも間違いではありません」「人が話しているときは耳と心でしっかり聴きましょう」「話し終わったら拍手で感謝を伝えましょう」など、ルールを確認すると良いでしょう。教師自身が批判せず、真剣に子どもの意見に耳を傾ける姿勢を示すことが大切です。
- 教師は「問いを立てる人」に: 教師は「正解」を知っている立場で教えるのではなく、子どもの思考を深めるための「問い」を投げかけたり、子ども同士の対話を繋いだりするファシリテーターとしての役割に徹します。自分の価値観を押し付けたり、特定の意見を褒めすぎたりしないように注意が必要です。
- 「正解」を求めない: この授業には明確な「正解」はありません。多様な考えに触れ、自分なりの考えを深めるプロセスそのものが学びです。「結局、普通って何なんですか?」と子どもから聞かれた場合も、「今日の話し合いで、みんな色々な普通があることが分かったね。○○さんはどう考えた?」のように、子どもの思考に戻す問いかけをします。
- 時間配分: 対話が盛り上がると時間が足りなくなることがあります。ステップごとに目安時間を設定しておき、全体共有の時間を確保できるように、途中で時間を意識させながら進めます。
- 多様な意見を引き出す工夫: 特定の子どもや意見ばかりにならないように、「他に違う考えはないかな?」「静かに考えている○○さんはどうかな?」など、色々な子どもに声をかけたり、思考シートを見ながらまだ出ていない視点について問いかけたりします。
よくある課題と対処法
- 「普通って当たり前なことだよ」「簡単なことだよ」で終わってしまう: 子どもたちの考えが浅いところで止まってしまう場合。「当たり前って、どういうことかな?」「簡単って、誰にとって簡単かな?」「例えば、自転車に乗れるのは当たり前?普通?」のように、具体的な例や「〜にとって」という視点を加えて問いを深めます。
- 特定の意見に大多数が流されてしまう: 「みんなこう言ってるから、これが普通」となってしまう場合。「でも、一人だけ違う考えの人がいたら、その人にとっては普通じゃないのかな?」「みんなにとって普通でも、自分にとって普通じゃないことってあるかな?」のように、少数派の意見や個人の感覚に光を当てる問いかけをします。
- 対話が深まらない、盛り上がらない: グループや全体で意見交換だけで終わってしまい、互いの意見について問いを立てたり、比較検討したりする対話にならない場合。教師が積極的に子ども同士の意見を繋ぎ、「Aさんはこう言ったけど、Bさんは違う考えだったね。二人の考えはどこが違うんだろう?」「Cさんはなんでそう思ったの?」のように、具体的な発言を取り上げて問いかけます。
想定される子どもの反応や対話の例
- 導入期: 「普通って、みんなと同じってこと!」「当たり前のことだよ」「ご飯を食べるとか」
- 個人思考・グループ対話期:
- 「普通は学校に行くこと。でも、病気で行けない人もいるから、その人にとっては普通じゃないのかも。」
- 「普通は右手でお箸を持つこと。でも、左利きの人もいるから、それは普通じゃないのかな?でも、左利きの人にとってはそれが普通だよね?」
- 「『普通にできる』って言われたら、簡単なことだと思う。でも、苦手な人にとっては難しかったりするから、相手によって普通って違うのかも。」
- 「『普通の人』って、どんな人?背が高い人もいれば低い人もいるし、好きなものも違う。じゃあ普通の人なんていないんじゃない?」
- 「普通がないと、何が正しいか分からなくなって困るんじゃない?」
- 「普通がない方が、みんな違ってみんないいって思えるんじゃない?」
- 全体対話期: 多様な「普通」の捉え方(統計的な普通、社会的な普通、個人的な普通など)が自然に出てくる可能性があります。異なる意見が出たときに、「○○さんはこう言ったけど、△△さんは違う考えだね。この違いはどうして生まれるんだろう?」と問いかけ、対話を深めます。
成功・失敗事例とそこから学べる示唆
- 成功事例: あるクラスでは、この対話を通して「普通」は一つではなく、人それぞれ違うこと、そして違いがあることの面白さに気づくことができました。対話後、互いの違いをからかうような言動が減り、「みんな違うから面白いね」という言葉が自然に出るようになったという報告があります。これは、安全な場が設定され、子どもたちが安心して多様な考えを表現できたこと、そして教師が特定の意見に誘導せず、多様な視点を提示する問いかけを丁寧に行ったことが要因と考えられます。
- 失敗事例: 別のクラスでは、「普通はこうだ!」という強い意見に引っ張られてしまい、それとは違う意見の子どもが発言しにくくなってしまった事例があります。また、「結局、何が普通なの?」と答え探しになり、対話が深まらなかったという事例もあります。これらの失敗から学べる示唆は、以下の通りです。
- 場の設定やルールの確認は形式的に行わず、子どもたちが本当に安全だと感じられる雰囲気づくりを徹底する必要がある。
- 教師はファシリテーターとしてのスキル(傾聴、問いかけ、つなぎ、待つなど)を磨く必要がある。特に、特定の意見が強すぎる場合に、他の視点を導入したり、静かな声を聞き取ったりする技術が求められます。
- 「正解はない」というメッセージを明確に伝えるだけでなく、子どもたちが「分からなくても大丈夫」「考えるプロセスが大事」と感じられるような関わりが重要です。
多忙な現場でも取り入れやすい工夫やヒント
- 時間を短縮する: 全体を45分で実施する場合、ステップごとに時間を短縮します。個人思考の時間を短くし、グループ対話や全体共有に重点を置く、あるいはグループ対話の時間を短縮し、全体共有で多様な意見を引き出す、などの調整が可能です。
- 既存の授業と連携: 道徳科や総合的な学習の時間で「多様性」「個性」「互いの違いを尊重する」といったテーマを扱う際に、導入や一部の時間にこの哲学対話を取り入れます。単発の授業としてではなく、単元の中の活動の一つとして位置づけることで、子どもたちの学びを深めることができます。
- シートを工夫する: 思考シートは簡単なものにし、すぐに書けるようにします。また、付箋に意見を書いて模造紙に貼るなど、形式を工夫することで、短時間で多様な意見を見える化できます。
- 教師一人で抱え込まない: もし可能であれば、複数の教師や支援員で協力して行うことで、より多くの子どもたちの発言を拾い上げたり、対話が滞っているグループをサポートしたりしやすくなります。
まとめ
「普通ってなんだろう?」という問いを探求する哲学対話は、子どもたちが日常的に使っている言葉や身近な事柄を通して、多様な価値観の存在に気づき、固定観念を問い直し、そして互いの考えを尊重しながら対話する力を育む有効な方法です。すぐに答えが見つからない問いについて、友達や仲間と共に考えを巡らせる経験は、子どもたちの思考力やコミュニケーション能力、そして他者への共感力を大きく伸ばす可能性があります。
多忙な小学校現場では、このような対話の時間を十分に確保することが難しいかもしれません。しかし、既存の教科や活動の一部として短い時間でも取り入れること、そして何より「どんな考えも受け止める」という安全な対話の場を意識して作ることによって、子どもたちの「考えるって面白いな」「色々な考え方があるんだな」という気づきにつながるはずです。ぜひ、先生方のクラスでも「普通」を問い直す対話の時間を取り入れてみてください。