『どんな時にしあわせ?』:子どもたちと「幸せ」を哲学する対話の進め方
はじめに:小学校で「幸せ」について考えることの意義
「幸せ」という言葉は、子どもたちにとっても身近な言葉です。しかし、「幸せってなんだろう」「どんな時に幸せを感じるのだろう」と深く考える機会は、意外と少ないかもしれません。哲学対話を通して「幸せ」について考えることは、子どもたちが自分自身の内面と向き合い、他者の多様な価値観に触れる貴重な機会となります。
このテーマは、特定の正解がなく、一人ひとりの経験や感じ方に基づいているため、子どもたちが安心して自分の考えを表現し、他者の意見に耳を傾ける練習をするのに適しています。また、日常の中にある小さな「幸せ」に気づくきっかけにもなり、自己肯定感や他者への共感を育むことにもつながります。
この記事では、小学校の授業で子どもたちと「幸せ」について哲学対話を行うための具体的な進め方やポイント、実践例をご紹介します。
哲学対話のテーマ設定:「どんな時にしあわせ?」
「幸せ」という大きなテーマを子どもたちと考える際に、まずは具体的な問いから入ることが大切です。今回の対話では、「どんな時にしあわせ?」という問いを軸に進めます。
この問いは、子どもたちが自分の経験を振り返りやすく、多様な答えが引き出しやすいという特徴があります。「遊んでいる時」「美味しいものを食べている時」といった具体的な場面から、「友達と笑っている時」「誰かが喜んでいるのを見た時」といった関係性の中での感情、「一人で静かに本を読んでいる時」といった個人的な時間、「難しい問題が解けた時」といった達成感など、様々な視点からの「幸せ」が出てくることが期待できます。
授業実践:対話を進めるためのステップと準備
対象と想定される学年への配慮
このテーマは、小学校のどの学年でも扱うことができます。ただし、学年に応じて問いかけの深さや活動内容を調整する必要があります。
- 低学年(1・2年生):
- 具体的な経験に基づく「しあわせ」を言葉や絵で表現する活動を中心に行います。
- 簡単な発表や、ペアでの短い対話を取り入れます。
- 問いはシンプルに保ち、「どんな時にしあわせかな?」と優しく問いかけます。
- 中学年(3・4年生):
- 具体的な経験に加え、「なぜそう思うの?」と理由を尋ねることで、少しずつ考えを深めます。
- 少人数のグループでの話合いを取り入れ、異なる意見に触れる機会を増やします。
- 問いは「どんな時にしあわせ?」「どうしてそれをしあわせだと思うのかな?」などと広げます。
- 高学年(5・6年生):
- 「幸せ」の種類(物質的な幸せ、心の幸せなど)や、「不幸」との関係、「みんなの幸せ」など、より抽象的・社会的な視点も問いかけます。
- 全体での対話を中心に、互いの意見を比較したり、共通点や相違点を見つけたりする活動を取り入れます。
- 問いは「〇〇の時は幸せと言えるかな?」「『幸せ』はみんな同じかな、違うかな?」などと発展させます。
授業の進め方(例:中学年以上)
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導入(5分):
- 今日のテーマが「幸せ」であることを伝え、哲学対話の時間を始めることを告げます。
- 哲学対話のルール(人の話をよく聞く、否定しない、安心して話せる場にすることなど)を再確認します。
- 「みんなは、『しあわせ』ってどんな時に感じるかな?」と問いかけ、導入のきっかけとします。簡単なアイスブレイクとして、隣の人と一言ずつ「最近あった小さな幸せ」を話してみるのも良いでしょう。
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問いの共有と個別思考(10分):
- 今日の問い「どんな時にしあわせ?」を提示します。(ホワイトボードなどに書く)
- まず、一人ひとりでこの問いについて考え、思いつく「しあわせ」な時を紙や付箋に書き出してもらいます。(言葉だけでなく、絵でも良い)
- 「一つだけでなく、いくつか書いてみよう」「どうしてそう思うのかも少し考えておくと良いね」などと促します。
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ペア・グループでの話合い(15分):
- 2人組や3〜4人のグループになり、それぞれが書き出した「しあわせ」な時を発表し合います。
- 「〇〇さんは、どんな時にしあわせ?」「へえ、それはどうして?」などと、互いに質問したり、感想を伝え合ったりする時間を設けます。
- 教師はグループを回りながら、話合いの様子を見守り、必要に応じて簡単な声かけをします。話が止まっているグループには、「どんな話が出た?」と聞いてみたり、「もっと詳しく教えてもらえる?」と深掘りを促したりします。
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全体での対話(20分):
- グループで話した内容や、特に気になった意見などを全体で共有します。
- 教師がファシリテーターとなり、対話を進めます。
- 出てきた意見を板書するなどして、子どもたちの考えを「見える化」します。
- 対話のポイント:
- 多様な意見を歓迎し、「面白い考えだね」「なるほど、そういう考え方もあるね」などと肯定的に受け止めます。
- 「〇〇さんの話を聞いて、どう思いましたか?」と、他の子の意見への応答を促します。
- 似た意見と違う意見を見比べ、「ここが似ているね」「ここが違うのはどうしてだろう?」などと比較を促す問いを投げかけます。
- 「もし△△だったら、しあわせと言えるかな?」などと、条件を変えて考えてみる問いも効果的です。
- 沈黙を恐れず、子どもたちが考える時間を十分に取ります。
- 特定の意見に偏らないよう、様々な意見が出ているか意識します。
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振り返り(5分):
- 今日の対話を通して気づいたこと、考えたこと、感じたことなどを簡単に振り返ります。
- 「友達の『しあわせ』な時を聞いて、どう思いましたか?」「今日の対話で、新しく気づいたことはありますか?」などと問いかけます。
- 感想を簡単に書き出したり、全体で一言ずつ発表したりします。
準備物
- 問いを提示するためのホワイトボード、黒板、または大きな紙
- 子どもたちが自分の考えを書き出すための紙、付箋、ペン
- 必要に応じて、対話のルールや問いを書いたカード
実践におけるポイント・注意点・よくある課題
- 「正解」を求めない雰囲気作り: 哲学対話において最も重要なのは、「正しい答え」を出すことではなく、自分の考えを持ち、他者の考えを聞き、共に考えるプロセスそのものです。「みんな違う考えを持っていて良いんだよ」というメッセージを繰り返し伝えます。
- 教師も対話に参加する姿勢: 教師が一方的に進行するのではなく、「先生も一緒に考えてみようかな」「みんなの話を聞いて、こんなことを思ったよ」など、一人の探求者として対話に参加する姿勢を見せることで、子どもたちは安心して自分の考えを出しやすくなります。
- 抽象的な問いへの対応: 低学年では、具体的な経験に基づいた「しあわせ」が多く出ますが、高学年になるにつれて「何かもらった時」「褒められた時」などから、「誰かの役に立てた時」「平和な時」など、より抽象的な意見も出てくるかもしれません。抽象的な意見が出た場合は、「それはどういうことかな?」「例えばどんな時?」と具体例を尋ねることで、その子の考えをより深く理解しようと努めます。
- 対話が深まらない場合: 子どもたちから具体的な経験談ばかりが出て、なかなか抽象的な問いに進まない場合もあります。その際は、「〇〇さんが言った『遊んでいる時』のしあわせって、どういう気持ちのことかな?」「もし遊びができなかったら、しあわせじゃないのかな?」など、具体的な経験から一歩踏み込んだ問いを投げかけてみることが考えられます。また、具体的な「しあわせ」を集めた後、「じゃあ、みんなが話してくれた『しあわせ』に、何か共通することってあるかな?」と問いかけ、抽象化を促す方法もあります。
- 特定の意見に引っ張られる場合: 一部の声の大きい子どもの意見に、他の子どもたちが引きずられてしまう場合があります。その際は、「〇〇さんの意見も面白いね。他にはどうかな?」「今、△△さんの意見が出たけど、違う風に思う人はいますか?」など、意識的に多様な意見を引き出すように促します。
- 「不幸」やネガティブな感情への対応: 対話の中で、「悲しい時は幸せじゃない」「嫌なことがあると不幸だ」といった「幸せ」の反対の状況や感情に関する発言が出ることもあります。そのような意見も否定せず、「そうだね、悲しい時や嫌な時はつらい気持ちになるね。じゃあ、つらい気持ちの時でも、しあわせなことってあるのかな?」などと問いかけ、複眼的に考える機会とすることができます。ただし、子どもの発達段階やクラスの状況に応じて、難しいテーマには深入りせず、「今日の対話では『どんな時にしあわせ?』を中心に考えてみようね」などと範囲を限定することも重要です。
想定される子どもの反応と対話の例
(対話例)
教師: 「みんな、今日は『しあわせ』について考えてみよう。最初の問いは『どんな時にしあわせ?』です。〇〇くん、どうかな?」
子どもA: 「おやつを食べている時!」
教師: 「なるほど、美味しいものを食べている時ね。他にどうかな?△△さん。」
子どもB: 「友達と遊んでいる時です。」
教師: 「友達と遊んでいる時もしあわせなんだね。□□さんはどう?」
子どもC: 「先生に褒められた時です。」
教師: 「褒められた時も嬉しいし、しあわせな気持ちになるね。みんな、色々な『しあわせ』の時を教えてくれてありがとう。出てきた意見を見てみると、『美味しいものを食べる』とか『遊ぶ』とか、楽しい時が多いみたいだね。じゃあ、みんなが話してくれた『しあわせ』って、何か共通することってあるかな?」
子どもD: 「楽しい気持ちになることです。」
教師: 「お、良い視点だね。しあわせな時は、楽しい気持ちになることが多いかもしれない。他にはどうかな?」
子どもE: 「一人じゃない時。友達といる時とか、家族といる時。」
教師: 「なるほど、誰かと一緒にいる時にしあわせを感じることもあるんだね。じゃあ、一人でいる時はしあわせじゃないのかな?」
子どもF: 「でも、一人で好きな本を読んでいる時もしあわせだよ。」
教師: 「お、そういう考え方もあるね!一人で好きなことをしている時もしあわせ。つまり、『しあわせ』って、一人でいても感じる時もあれば、誰かと一緒にいても感じる時もあるってことかな?」
子どもたち: 「うん」
教師: 「面白いね。じゃあさ、『しあわせ』って、目に見えるものかな?それとも見えないものかな?」
子どもG: 「おもちゃとかプレゼントは目に見えるよ。あれをもらった時もしあわせだから、目に見えるんじゃない?」
子どもH: 「でも、楽しい気持ちとか、嬉しい気持ちは目に見えないよ。しあわせって気持ちのことだから、見えないんじゃないかな。」
教師: 「なるほどね。〇〇くんは『しあわせは目に見える』と思った理由を教えてくれたし、△△くんは『見えない』と思った理由を教えてくれた。どちらも面白い考え方だね。『しあわせ』には、プレゼントみたいに形があるものをもらった時に感じるものもあれば、気持ちみたいに形がないものもあるのかもしれないね。」
多忙な現場でも取り入れやすい工夫
哲学対話を授業でじっくり行う時間を確保するのが難しい場合もあります。そのような場合は、以下のような工夫を取り入れることが可能です。
- 短い時間で区切る: 1回の対話時間を15〜20分程度に設定し、週に1回、または単元末のまとめとして実施します。
- 朝の会や帰りの会の活用: 5分程度の短い時間で、今日の問いを一つ提示し、隣の子と話す時間を取る、または全体で2〜3人の意見を聞くといった活動を行います。
- 他教科との連携: 国語科で物語を読んだ後、「この登場人物はどんな時に幸せだったのかな?」と問いかけたり、道徳科の授業で扱ったテーマと関連付けて「〇〇な状況でも幸せを感じることはできるかな?」と問いかけたりするなど、既存の授業内容に哲学的な問いをプラスする形で取り入れます。
- 「哲学おやつ」: おやつを食べながら、「このおやつを食べてる時、しあわせ?」と軽く問いかけてみるなど、リラックスした場面で導入します。(ただし、食物アレルギー等への配慮は必須です)
まとめ:子どもたちの「幸せ」を探求する旅
「どんな時にしあわせ?」という問いから始まった対話は、子どもたちが日常の中にある当たり前の出来事の中に「幸せ」を見つけたり、一人ひとりにとっての「幸せ」が異なることを知ったり、目に見えるものだけでなく心の状態も「幸せ」に関わることに気づいたりするきっかけとなります。
教師はファシリテーターとして、子どもたちの言葉に丁寧に耳を傾け、問いを投げかけ、子ども同士の対話を繋いでいく役割を担います。「これが幸せだ」と決めつけるのではなく、多様な「幸せ」のあり方を認め合う経験は、子どもたちの豊かな感性や、他者への理解を育む上で重要な意味を持つでしょう。
この実践が、先生方と子どもたちが共に「幸せ」について深く考える、実りある時間となることを願っています。