『自分らしさ』ってどんなこと?:多様な個性を認め合う哲学対話
はじめに
小学校の教育において、子どもたちが自分自身を肯定的に捉え、他者との違いを認め合うことの重要性は高まっています。「自分らしさ」とは何か、それは大切なことなのか、人によって違うのか。このような問いは、子どもたちが自己理解を深め、多様な価値観に触れるための重要な出発点となります。
ここでは、「自分らしさ」をテーマにした哲学対話の授業実践例をご紹介します。この実践を通じて、子どもたちがそれぞれの個性を肯定し、互いの違いを豊かさと捉えるための対話的な学びを目指します。
なぜ小学校で「自分らしさ」を哲学的に考えるのか
子どもたちは成長の過程で、「自分は周りと違うのではないか」「もっとこうなりたいけれど、これが自分なのだろうか」といった問いに直面することがあります。また、多様性が重視される社会において、自分自身の個性や他者の違いをどのように理解し、向き合っていくかは、他者と共生していく上で欠かせない力となります。
「自分らしさ」について哲学的に考えることは、子どもたちが以下の力を育むことにつながります。
- 自己理解の深化: 自分自身の内面や特徴に気づき、肯定的に捉える機会を得ます。
- 多様性の受容: 人によって「自分らしさ」が異なることを知り、他者の個性を尊重する視点を育みます。
- 問いを立てる力: 「自分らしさ」とは何かという抽象的な概念に対し、具体的な経験や考えをもとに問いを深めます。
- 対話する力: 自分の考えを言葉にし、友達の考えを聞き、共通点や相違点について話し合います。
これらの力は、道徳科や総合的な学習の時間、特別活動など、小学校教育の様々な場面で求められる資質・能力の育成に貢献するものです。
哲学対話「『自分らしさ』ってどんなこと?」実践例
1. 対象学年と準備
- 対象学年: 小学3年生~6年生(学年に応じて問いや導入の難易度を調整します)。低学年の場合は、言葉での表現に加え、絵やジェスチャーなど非言語的な表現を取り入れると参加しやすくなります。
- 準備物:
- 中心となる問いを提示するカードや模造紙
- 子どもたちが自分の考えを書き出すための付箋やカード、筆記用具
- 多様な「自分らしさ」を表現するための画用紙、色鉛筆、粘土、折り紙、言葉カードなど(導入活動による)
- 対話のルール(傾聴、違いの尊重、パスする権利など)を提示したもの
2. 授業の進め方(例:小学4年生)
ステップ1:導入(10分)
- 本日のテーマが「自分らしさ」であることを伝える。
- 導入として、簡単な表現活動を行います。例:
- 「あなたが『自分らしいな』と思うこと、好きなこと、得意なことなどを、言葉や簡単な絵でカードに書いてみましょう。」
- 「粘土で『自分らしさ』を形にしてみましょう。」
- 「『自分らしい色』を考えて、画用紙に塗ってみましょう。」
- 完成したものを互いに見せ合い、簡単な紹介をします。「これは私が○○なところが自分らしいと思ったからです」など。表現が難しい子には、教師が簡単な言葉で促したり、他の子の例を見せたりします。
ステップ2:問いの共有と明確化(15分)
- 表現活動で見られた多様性や共通点に触れつつ、本日の中心的な問いを提示します。
- 「みなさんが表現してくれた『自分らしさ』、素敵ですね。でも、そもそも『自分らしさ』って、いったいどんなことなのでしょう?」
- 「『自分らしさ』は、一人ひとり違うものだと思いますか、それともみんな同じでしょうか?」
- 「『自分らしさ』は、生まれてからずっと変わらないもの? それとも、成長すると変わっていくもの?」
- いくつかの問いを提示し、子どもたちが最も考えたい問いを一つ選びます。(または教師が一つに絞る)
- 選んだ問いについて、子どもたちがどのような意味で捉えているかを確認します。「『自分らしさ』って言葉を聞いて、どんなことを思い浮かべますか?」など、定義を共有せず、それぞれのイメージを出し合います。
ステップ3:哲学対話(20分〜30分)
- 対話のルール(相手の話をよく聞く、批判しない、分からないときはパスしてもよいなど)を確認します。
- 子どもたちが円になって座るなど、互いの顔が見えるように配置します。
- 選んだ問いについて、自由に意見を交換していきます。教師はファシリテーターとして、以下のような役割を担います。
- 発言を促す(「〜さんはどう思いますか?」「さっき〇〇さんが言ったことについて、何か考えはありますか?」)
- 発言の明確化(「〇〇ということですね?」と確認する)
- 意見の整理(「今、Aという考えとBという考えが出ましたね」)
- 深掘りを促す(「なぜそう思うのですか?」「具体的な例を教えてくれますか?」)
- 沈黙を恐れない(子どもたちが考える時間を与える)
- 特定の意見に偏らないように注意する
- 想定される子どもの発言例:
- 「好きなものが他の人と違うことだと思います。」(好きなもの、興味)
- 「得意なことや、できないこと。」(能力)
- 「顔とか背の高さとか、見た目。」(外見、身体的特徴)
- 「怒りやすいとか、優しいとか、性格のこと。」(内面、性格)
- 「生まれ育った場所とか、家族のこと。」(背景、環境)
- 「周りの人に『〜さんらしいね』って言われることかな。」(他者からの評価)
- 「『自分らしさ』は変わらないと思う。だって、小さい頃から好きなものは変わらないから。」
- 「いや、変わると思う。前は怖がりだったけど、今は大丈夫になったから。」
- 「『自分らしさ』は、変わる部分もあるけど、心の真ん中にある変わらない部分もあると思う。」
- 「みんな同じところもあるけど、違うところがあるのが『自分らしさ』だと思う。」
- 「『自分らしさ』って、なくてもいいんじゃない? みんなと同じでいた方が楽だし。」(「らしさ」を持つことの価値への問い)
- 「でも、『自分らしさ』がないと、誰だか分からなくなっちゃう。」
- 多様な意見が出尽くしたところで、対話を終えます。
ステップ4:振り返りとまとめ(10分)
- 今日の対話で考えたこと、気づいたことを一人ひとり簡単に振り返ります。
- 「友達の意見を聞いて、新しく分かったことはありますか?」「自分の考えは、対話をする前と後で何か変わりましたか?」といった問いかけをします。
- 教師が対話全体を簡単にまとめます。正解は示さず、様々な考え方が出たこと、互いの考えに耳を傾けられたことを評価します。
- 「『自分らしさ』には、見た目や性格、好きなものなど、本当にたくさんの捉え方があるのですね。そして、『自分らしさ』は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。大切なのは、自分にはどんな『らしさ』があるのかな、友達にはどんな『らしさ』があるのかな、と考えること、そして一人ひとりの『らしさ』を大切にしようとすることかもしれませんね。」など、肯定的な言葉で締めくくります。
実践におけるポイントと注意点
- 安全な場づくり: 子どもたちが安心して自分の考えを話せる雰囲気を作ることが最も重要です。どんな意見も否定しない、笑わない、といったルールを徹底します。
- 正解を求めない: 哲学対話に「正解」はありません。多様な考え方があること、問い続けることそのものの面白さを伝えます。
- 具体的なきっかけ: 抽象的な問いから始めるのではなく、導入活動や身近な例(「好きな給食」「得意な遊び」など)から「違い」や「その子らしさ」に気づかせることで、問いに入りやすくなります。
- 全員参加を促す: 発言が苦手な子には、ペアワークでまず友達と考えを伝え合う、書く活動を取り入れる、パスする権利を保障するなど、様々な形で参加できるように配慮します。
- 多忙な現場での工夫:
- 対話の時間を15分程度に短縮し、問いを一つに絞る。
- 導入の表現活動は、短い言葉で書く付箋ワークにするなど簡略化する。
- 日常の休み時間や清掃時間など、身近な場面での「違い」や「個性」に触れ、短い問いかけで対話のきっかけを作る。
- 道徳の教材や国語の登場人物の「らしさ」について考える時間として活用する。
成功・失敗事例とそこから学ぶ示唆
成功事例:
- 多様な意見が活発に出され、子どもたちが「自分はこう思うけど、友達は違う考えなんだな」と気づき、楽しそうに耳を傾けていた。
- 普段あまり発言しない子が、絵で表現した自分の「らしさ」について自信を持って話すことができた。
- 対話後、友達の「苦手だけど頑張っているところもその子らしさだね」といった、互いを肯定的に捉える言葉が聞かれた。
- 教師が想定していなかった、子どもの視点ならではの「自分らしさ」の捉え方(例:「自分らしさとは、怒られたときにすぐ謝れること」など)が出た。
失敗事例:
- 問いが抽象的すぎて、多くの子が「分からない」「何でもいいじゃん」と発言に詰まってしまった。
- 特定の子の強い意見に引きずられ、他の子が自分の意見を言えなくなってしまった。
- 「自分らしさ」を「周りと違う変なところ」と捉え、自分の個性に自信が持てない様子の友達をからかうような発言が出てしまった。
示唆:
- 問いの設定は、子どもたちの発達段階や興味関心に合わせて、具体例から導入するなど工夫が必要です。
- ファシリテーターのスキルは重要です。意見の偏りを防ぎ、全ての意見を丁寧に受け止め、次の発言を促す声かけを意識します。
- 否定的な発言やからかいがあった場合は、その場で「今のような言い方だと、言われた友達がどう感じるかな?」など、共感や他者意識を促す言葉かけを丁寧に行う必要があります。多様な「らしさ」を受け入れる雰囲気作りは、対話そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に重要です。
まとめ
「自分らしさ」という問いは、子どもたちが自分とは何か、他者とは何か、そして共に生きるとはどういうことかを考えるための豊かなテーマです。哲学対話の手法を用いることで、子どもたちは互いの「らしさ」に触れ、その多様性を面白がり、認め合う力を育むことができます。
すぐに全てのステップを実践するのが難しくても、まずは授業の冒頭で短い問いを投げかけ、ペアで話し合う時間を持つことからでも始められます。この実践が、先生方の学校現場での哲学教育の一助となれば幸いです。